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アラフォー女の日常・・・
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滝川市からの謄本がとどきました。
それによると、母の祖父、キノハチ・Tさんは、大正12年に、熊本県菊池郡津田村(現菊陽町)というところから江部乙村(現滝川市)に転籍していました。

つまり、大正12年からの戸籍ということで、これは母の出生からの記録となります。

(ただ、大正2年に、どうも、空知郡富良野村(現富良野市)から熊本、熊本からまた江部乙にいっているようです。ただこれは母の生まれるよりはるかに前なので、関係はないです。菊陽町や富良野市には問い合わせる必要はありません。)

キノハチ・Tさんは行商をしていた、という話を聞いています。
そして母の父であるハヤ・Tさんも同じく行商をしていたと聞きます。

母は、夫婦仲が悪い家庭に育った、まともな食器がなかった(夫婦喧嘩で食器が全部割れていたらしい)とつねづね言っていました。
母はその母(私の祖母)を嫌っていました。
私が10歳のとき、一度だけ祖母がやってきたことがありましたが、その時の母の反応は子供の目からみても不思議でした。そういえば祖父母が亡くなったときも、葬式に行った記憶はありません。祖父が没したときは私はとてもとても小さかったので確実ではないですが、祖母のときは確実に行っていません。

祖母は、祖父を、「このコンつけたオヤジ!」といつも罵っていたそうです。
「コンつけた」というのはよくわかりませんが、否定語なことは確実です。

当時黒いダイヤと呼ばれた炭坑の町などを中心に行商をしていたそうですが、祖母はその夫(私の祖父)に、「行商なんかより炭坑夫になればもっと稼げるのに!」と常々言っていたそうです。

母は、「子供の目からみても、たしかに炭坑夫は稼げるけれど、死ぬ危険が高いのに、夫をそうさせようというのが理解できなかった」と言っていました。

母は、「自分はものすごく貧乏に育った」と言い、私にも、恥ずかしほどぼろぼろな格好をさせました。
私がなにか欲しいといっても、いや欲しいといえば必ず罵って買いませんでした。
しかし母がさせたいこと、私がしたくないピアノは無理に買いました。

今でも悲しく思いだされるのは、小学校1-2年のとき通っていた小学校は、ランチョンマットが必要でした。
しかし、母は買ってくれませんでした。
学校から、「購入するように」と再三再四言われ・・・ある日、母は道端に落ちていたランチョンマット(同じ小学校に通う誰かが落としたのでしょう)を拾い上げ「これをつかいなさい」と言いました。

私は嫌で嫌で泣きました。
でも結局それを使わされました。
ピアノが買えてピアノを習わせられるのに、どうして数百円だろうそれを変えないのかわからなかったです。
でも、母は私を悪い人間だ、それだからあんたは人から嫌われるんだ、等言い張りました。

そんなことが何度もありました。
私は、子供ながらに、母がひどい育ち方をしていると思っていました。

実際、後年、私が二十歳をすぎて、あるいは三十歳を超えたころなのか、母がその兄から性的な虐待を受けていたことを知りました。
思い当たることはあって、私が10歳になるかならないかのころ、台所で魚を大量にさばいていた母に、「内臓気持ち悪い」と言ったら、「こんなの、赤ちゃんが流れたらもっとキモチワルイよ!」と恐ろしい顔で怒鳴られました。
そのあとの母の顔は、私に対しての怒りというより、なにか得体のしれない恐怖に凍りついた顔で魚を調理していました。

母が、おそらく、幼いころ望まない妊娠をして、流した・流れたことはあったことはほぼ確実だと思います。

だから、今回戸籍をとるときに、ひょっとしたら相続人は他にいるのではないか、非常に若いころに産んでどこかに預けたような子供がいるのではないか、という疑念がずっとあったのです。
(私は、昭和22年に生まれた母の妹が、ひょっとしたら・・・と疑っています。ただ、戸籍上はハヤ・Tとその妻コト・Tの四女ということになっています。戸籍法が改正され、病院などからきちんとした書式の出生証明を添付して出生届を義務付けられたのは昭和23年なので、もし私の想像が当たっていたとしても、14歳の娘が産んだ子をその母の子供に届けたんじゃないかと。)

だから、私は、父の葬儀のときにやってきた母の兄には来てほしくなかった。
いや私より母のほうがもっと来てほしくなかったに違いないのです。
そのときの母の顔を、今でも思い出します。
(わざわざ親族にしらせたりはしなかったのです。しかし、父は北海道新聞に勤めていたせいで、こちらが望まずにお悔やみ欄に出てしまったのです。北海道の人間はほとんど道新を取っていますから、あっというまに親族中に広まってしまったのです。少なくとも母の兄と姉妹には来てほしくなかった。母の弟二人ならOKだけど彼らは来なかった。)

母の兄は、睨みつけていた私をいぶかしげに見ていました。
きっとアメリカだったら、銃を持っていたら、脳天をぶっとばしただろうと思います。

母は、私をひどく扱っていたけれど、そして何か自慢になることがあれば、まるで自分の腕時計を自慢するかのように吹聴してまわるのはもっと嫌だったけれどかわいそうな育ち方をしていると、ずっと思っていました
だから、同情して、我慢していました。

極貧にあえぐ夫婦不仲の家庭に育ち、その兄から性的ないたずらをされ、一度流産経験のある、そういう女性であると・・・。

・・・いつだっただろうか。
父の葬式より後の話だったことは確かです。(50歳まで無職、と兄のことを言っていますが、数年だけ働いたことがあります。父の死で兄が戻ってきたのです。その頃聞いた話。)

「お母さんの実家には、戦前には珍しかった冷蔵庫があったそうだ」。

ひどく不仲な夫婦の間に育ったことは確かだけれども、極貧じゃなかったのです。

母の子供のころは、戦前・敗戦直後です。(母が産まれた年、昭和8年は、1933年、世界史的にみればヒトラーが政権を取った年です。日本が軍事国家の道・世界戦争への道を進んだ暗い時期であったはずです。)

どういう冷蔵庫だったかはわからない。
アメリカから輸入したようなガス式・電気式の冷蔵庫だったのか、それとも毎日氷を詰め替えて冷やす保冷箱みたいなものだったのか、そこまではわからない。

しかし、戦前、それは非常に高価なものであったことは想像に難くないです。

母は極貧家庭に育ったわけではなかった。母の言い方では、まるで、毎日行商の日銭で生きているような感じだったのに、全然違ったのです。
むしろ、軍需で潤う北海道の炭鉱の町の住民を相手に、商売で財をなした、ひどくお金持ちの家に育ったお嬢さんだったのです。

母もまた、「お金持ちなのにかかわらず、服や必需品を買ってもらえない」という、屈辱的なしうちを受けていたに違いないのですが、それにしても、私が母を捨てる気になった原因のひとつが、その「冷蔵庫」の事実でした。

母の母、つまり私の母方の祖母も、ひどい育ち方をしたようで(母の言葉から断片的に、どうも、旅芸人みたいな人に連れられて学校にも行かせてもらえないで育ったらしい)、子供の虐待というのは、世代を伝播してしまうもののようです。

母の父、つまりハヤ・Tさんも、ワケアリな育ち方をしているらしいです。
母がちらっと「じいちゃんは長男なのに、家督を譲ってもらえなかった」と、ちらっと、「本当は戸籍上の父親の子供ではない」ことを匂わせる発言をしていました。

戸籍をとると、明治2年生まれのキノハチ・Tさんは、明治4年生まれのハル・Yさんと明治31年に結婚しています。
ハル・Yさんはハル・Tさんとなり、明治34年に、ハヤ・Tさんが産まれています。

女性の27歳での結婚は、今では変なことではないですが、明治時代としては非常な晩婚だと思います。
あるいは再婚なのかもしれません。

ハル・Tさんの父としてK・Yさんという名前が載っていますが、母の欄が空欄になっています。
「転籍届ニ依リ母ノ名ヲ知ルコト能ハザルニ付記載ヲ省略」と書かれています。

そして、ハヤさんの記載にも
「転籍届に依リ事項嫡ノ記載○○○(3字読めず)知ル事能ハザルニ付其記載省略」と書かれています。
父はキノハチ・T 母はハルと書かれているのにもかかわらず、「嫡男だと書けません」。

どういう事情があったのかはわかりません。
これを知るには、熊本の前の富良野の戸籍の、さらに前、明治34年以前の事項が載っている戸籍を調べる必要がありますが、調べるのは難しいし、あるいは取り寄せたところで記載がないかもしれません。

ひとつ、ほぼ確実なことは、「ハヤ・Tさんは、キノハチ・Tさんの遺伝子を受け継いでいない」。
ハヤ・Tさんは、「白子と見まがうほど色が白く、髪が赤く、鼻が細く高かった」そうです。
母も、戦前に生まれた日本人女性とは思えないほど巨大な体格をしており、やはりひどく色が白いです。
私も、幼いころは外人の子供のように色が白く、髪が赤かったです。
(とある検査で、私は、欧米人に多く日本人にはかなり珍しい遺伝的な特徴があるそうです。)

・・・おそらく、ハル・Tさんは、夫キノハチ・Tさんではない男性と情交し、ハヤ・Tさんを身ごもったのでしょう。
それも、その男性はおそらく日本人ではないと思われます。
キノハチ・Tさんは、自分の子ではないハヤさんを、それでも自分の子供として届けましたが、嫡男ではないと扱ったのでしょう。

そういう育てられ方をして、ハヤ・Tさんもまた、何か心に傷がなかったとは思わない。
日本人の間で、そんな、外国人のような容貌で、その容貌ゆえに実際の父の子供ではないことが明らかで、ひどいいじめもあったのではないか。
(実際、祖母の罵りの言葉の中に「コンつけたオヤジ」の他に、「鼻がビューっと高い」ってのもあったらしい。)



そういう、過去の延長線上に、今の私が存在しています。
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